日本橋をより一層楽しむための6つのポイント 6 Point for enjoying Nihonbashi bridge in TOKYO
- By: User
- カテゴリー: TRAVEL, Tokyo
- Tags: Nao Tokyo, Nihonbashi, Tokyo, Travel.Tour, 日本橋
日本橋と言えば、日本の道路網の始点ですね。
「東京まであと○○キロ」とあったら、
じつは、「日本橋のあの道路元標まで〇〇キロ」というのと同じだということをご存知の方も多いはず。
いわば、日本の0地点です。
今日は、その日本橋を一層楽しめる6つのポイントをご紹介します。
1.五街道の基点
2.日本橋河岸
3.さらし場
4.お触書が掲示されていた場所
5.形の変化
6.橋の装飾
1.五街道の基点
突然ですが、問題です。
五街道(ごかいどう)は、江戸時代の江戸・日本橋を起点に伸びる五つの陸上幹線道でです。
1601年(慶長6年)に徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶ以下の5つの街道を整備し始め、四代将軍家綱の代になって基幹街道に定められました。
では、その5つの街道とは何でしょうか
答え
東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道
答えられた方、すごい!おめでとうございます。
ほとんどの方は、奥州街道、日光街道あたりで、迷われたんじゃないでしょうか。
意外に全部を答えるのは、難しいですよね。
では、その基点ですが、日本橋のどこにあると思いますか?
答えは、橋の中央です。
日本橋中央の基点
道路の真ん中にある基点の印、
交通量が多いので、近くまで寄って行かないでくださいね。危険です。
簡単にみられるレプリカが日本橋の北西側にあります。
こちらでしたら、安全にじっくり見られます。
元標のレプリカ
もし、本物を間近でご覧になりたい方は、
年に一度、近づけるチャンスがあります。
7月の第4日曜に「橋洗い」というのがあるんです。
http://www.nihonbashi-meikyou.jp/hashiarai/
ちなみに、同じ場所に、以前は道路中央にあったガス灯も置かれています。
日本橋中央にかつておかれていたガス灯
こんな頑丈そうなガス灯を道路中央に置いたら、交通事故が起きそうで危険ですものね。
だから、安全な場所に退避させたんでしょうね。
でも、中央にも、ちゃんとガス灯があるんです。
日本橋中央の基点上部のガス灯レプリカ
日本橋の上の高速道路に、へばりつくようにくっついているんです。
2.日本橋河岸
日本橋は、魚市場発祥の地です。
関東大震災を機に、築地に市場は引っ越してしまいましたが、
その名残は、日本橋のあちらこちらに見つけることができます。
家康は、大阪から連れてきた佃村の漁師さんたちを連れてきました。
そして、現在の佃あたりに住まわせました。
漁師さんたちは、とってきた魚を日本橋経由で献上していました。
家康は、佃村の漁師さんたちに、
余ったお魚を日本橋あたりで売っていいという許可を出しました。
そこで、漁師さんたちは、ここ日本橋の北詰東側でお魚を売るようになりました。
魚の他にも、
- 海苔や鰹節などの乾物
- かまぼこ、はんぺんなどの練り物
も売られるようになりました。
現在の山本山さん、にんべんさんは、このころから続いている老舗中の老舗ですね。
乙姫様と隣の碑
ちなみに、なぜ、ここに乙姫様がいらっしゃるかというと、
お魚といえば、竜宮城。
竜宮城といえば乙姫様ですね。
だから、ということだそうです。
3.さらし場
今も昔も人通りが多かった日本橋。
ですので、ここは、罪人に見せしめの場、さらし場としても使われました。
現在は、滝の広場として、船の発着所や交番がある南東側です。
日本橋から徒歩圏内の小伝馬町には、牢屋跡があります。
吉田松陰が亡くなった場所として知られています。
ここから、朝、罪人が連れてこられて、
日中さらされて、
夕方牢屋に連れ帰る、
ということが繰り返されていた場所でした。
滝の広場からみた水上バスの発着場
罪の内容は、
- 女性と関係を持ってしまったお坊さん
- 心中で助かってしまった方
など、様々です。
現代では、マスコミやネットがありますから、
具体的な”場所”でさらされるということは、あまり無いですが、
昔は直接人々の目にさらされていたんですね。
4.お触書が掲示されていた場所
現代ですと、
- NHKなどの放送局
- 新聞
- 各地域の広報
からいろいろ情報が入ってきますし、
年金通知や選挙の書類など、大事なものは郵送されてきます。
でも、昔は、
法律ができたら、沢山の人が通るところに掲示する
というのが、公布の方法でした。
江戸時代の識字率は、寺子屋などの教育の成果か、9割を超えていたといいます。
江戸の方々は、皆様、ここで読んでらしたんですね。
5.形の変化
浮世絵でよく目にする日本橋は、
- 木造
- アーチ型
ですが、
現在は、
端と中央で高低差は無く、
石でできています。
明らかに、江戸時代の橋ではなさそうです。
実は、現在の日本橋は20代目だそうです。
江戸時代は火事が多く、200年の間に700回も火事があったという説もあります。
ですので、燃えてはかけ直すということを繰り返していたようなんです。
でも、
火事=災難
というわけでもなかったようです。
火事が多い=土木工事が増える=仕事がもらえる=やった!
という庶民も多かったみたいですよ。
庶民は、仮住まいで、家が焼けても、失うものなどほとんどなかったでしょうし。
よく、
「江戸っ子は宵越しの金はもたねぇ」
という言葉を耳にしますが、
これは、こうゆう環境がそろっていたから言えることですよね。
「老後どうしよう、貯金しなくちゃ」
という現代の日本人の感覚とは、だいぶ違いますね。
明治になってから、木造の橋は壊れてしまって、また、作り直されました。
この時から、橋は、平らになりました。
なんでだと思います?
理由は馬車です。
でも、また傷んでしまって、
明治44年(1911年)に石橋に作り替えられます。
これが、現在の橋です。
2017年7月現在106歳。
途中、
- 関東大震災
- 第二次世界大戦
- 東京オリンピックの際に上に高速道路がかぶさったり
- もちろん311も
いろいろありましたが、頑丈ですね。
まだまだご健在です。
でも、傷跡はあるんです。
第二次世界大戦中に空から降ってきた焼夷弾の跡があちこちに見られます。
焦げて、茶色くなっているのが見えますね。
6.橋の装飾
「日本橋」の文字は、どなたが書いたと思いますか?
答えは、最後の将軍、第15代徳川慶喜氏です。
四隅は、獅子が「あ」「ん」の口をして、橋を守ってらっしゃいます。
神社みたいですね。
獅子が踏んでいるのは、邪鬼ではなくて、東京市のマークだそうです。
中央には、麒麟(きりん)がご鎮座されています。
麒麟は、聖王の世に現れるという架空の動物です。
ビールでおなじみですね。
- 形は鹿に似て
- 顔は龍に似て
- 牛の尾を持ち
- 馬の蹄をもつ
随分ややこしい形ですね。
麒麟の周りには、
松やエノキが鋳込まれています。
江戸時代から1里塚は休憩所として使われていましたが、
基点の日本橋にも同じものを配置しようとの意図が入っているそうです。
いかがでしたか?
日本橋を渡る時、ぜひ、参考にしてみてくださいね。